愛媛、松山、道後温泉(2016年8月)
内子から戻り、午後は松山市内を市電の一日券(500円)で周る。一度「大街道」で降り、「坂の上の雲ミュージアム」の横を通り過ぎながら萬翠荘の洋館へ。さらっと見て回り、また市電に乗って、道後温泉方面へ。道後温泉駅に到着。何とも風情のあるたたずまいの駅舎。
市電に乗っている途中で動いているのを見かけた「坊ちゃん列車」。行動スケジュールとタイミングが合わず乗ることはかなわなかったが、止まっているところは撮影(道後温泉で)。
温泉につかるのは後回しにして、まずその前に四国八十八か所巡りの第51番札所でもある石手寺に向かう。道後温泉の観光案内所で行き方を教えてもらった。昼から夕方の間の時間帯で、途中西日がかなり強く当たってくる。石手寺の強烈な存在感について、今回の四国の旅に持ってきていた本にもしっかり記述されていた。
とにかくこのお寺はすごい。由緒もあっていろいろすごい点があるのだが、入るときに最初表参道からではなく横の遊歩道から入ったところからすでに特徴的なアイテムが満載なのである。中でも目を引いたのはシェ―みたいなポーズをとったキリスト像。寺なのにキリスト、しかもシェ―。ちなみに、上の本にその記載はなかった。写真は、境内中心にドーンと存在する五鈷杵(ごこしょ)。密教的というよりももっと陽性な存在感。
境内向かって右手にある三重塔。塔はいい。
車道に面した表の入口近くにあった弘法大師像。
写真に撮ってないところの方がすごいのがいっぱいあったのだが、ちょっと書ききれない。
公園などを経由しながらゆるゆる道後温泉に戻って、足湯に浸かる。写真はそこにある湯釜。足湯のおかげで疲れていた足がずいぶん楽になった。
ちょうど、夕方6時のからくり時計が動き始めた。
坊ちゃんや、マドンナなど。一番下の層のお風呂でいい気分のおじさんたちまでいた。2016年は夏目漱石の没後100年ということにはあまり意識がなかったけれど。
そして、いよいよ、道後温泉本館に向かった。
一番安い、神の湯階下の切符を買う。410円也。
3階の坊ちゃんの間を見学。明治に建てられた木造建築で3階建てというのは驚異的だったことだろう。
少々熱めで、深い湯船にゆっくり浸かり、ほかほかになって出たら雨が降っていた。雨宿りということでそのまま入口土間の椅子に座って冷たく冷えたフルーツ牛乳を飲む幸せ。みかんソフトを食べようと思っていた気持ちがどこかに飛んで行ってしまった。
食事を済ませて、道後温泉駅から戻るときに撮った市電の姿。このあと、松山市駅隣のデパートにある大観覧車「くるりん」へ市電で向かう。一日券で乗れるようになっていたのだ。終了時間間際に滑り込みセーフで、その日最後の客となって、松山市内の夜景を15分ほど楽しんだ。観覧車を降りると、デパートも閉店、JR松山駅方面の市電も終電で、夜の早い松山を実感。あまり煌々としていない街中の雰囲気も、なんだか落ち着くのだった。
愛媛、内子(2016年8月)
愛媛2日目は、まず朝から内子へ向かった。内子は、江戸から明治期にかけて、木蝋や和紙などの生産で繁栄した町。和ろうそくや、人形浄瑠璃の内子座、歴史的なたたずまいの町並みで有名。松山駅から宇和島行きの列車はなんとアンパンマン列車だった(往復とも。たぶん同じ車両だったかも?)。外装、内装ともアンパンマンに出てくるキャラクターがいっぱいで楽しい。乗り心地も大変よく、山間を走り抜ける車窓の風景を眺めていると、スピード感も結構あった。
内子の駅は、高架になっていてとても気持ちのいいホーム。天気でよかった。
駅から歩いてまずは第一の目的の内子座へ。文楽の公演は現在でも年に1回行われている。公演がない時の見学のための入場料は大人400円。パンフレットによると、「木蠟や生糸などの生産で栄えていた時代、芸術・芸能を愛してやまない人々の熱意によって建てられた」とある。農閑期に歌舞伎や文楽などを楽しむための内子座は、大正5年2月(1916年)大正天皇即位を祝して創建され、木造二階建て、瓦葺き入母屋造り。ホールとして活用後、老朽化のために取り壊しになるところを町民の熱意により復元され、昭和60年(1985年)劇場として再開され、その後も文楽興行を打つための改修工事などを経て、1995年から内子座文楽として年1回の公演が定期化され現在に至っている。(厳密にいうと、途中で一度財政難に見舞われ中止期間があったらしい。詳細は、内子座のウェブサイトにある。)大正期に出来たものだとはいえ、江戸期の雰囲気が漂っている。そして、今年はちょうど創建100周年という記念すべき年だった。
花道と舞台、座席のようす。使い込まれた木の風合いに落ち着きがあり、気持ちいい。
二階席もあって、上から見下ろしてみた。舞台横から奈落にも降りて廻り舞台を回す仕掛けや、スッポンやセリの仕掛けも見られる。こじんまりした感じが大きな劇場とはずいぶん違って、楽しい。舞台左手には、内子座の法被があって、着用して記念撮影もできる。つまり、舞台にも上がれる。
内子座を出て、古い街並みが残されている通りに行く。
和ろうそくで有名というが、お目当てのお店は休みだった。心なしか、通りにもほとんど人がなく、物寂しい雰囲気もあったのは意外。もっと観光客がいてもいい気がする。考えてみれば、駅から歩いている間も、ほとんど人と会わなかった。そして、駅に戻るときも…。途中、雨が降り出し、ちょうど大きなお屋敷で公開しているところに雨宿りできたのは幸いだった。そして、雨宿りしている途中で入ったおしゃれなお土産屋さんで、かの「水曜どうでしょう」絵はがきの旅で内子が出ていたことを知る!そのお店では和ろうそくを購入。
なんてことをやっている間に、意外に時間が経ってしまい、電車の時間に結構ぎりぎりになって、帰りは少しあわただしくなってしまった。
広島から松山へ(2016年8月)
広島に出かけた後、せっかくなので四国に行くことにした。今回が初めての四国上陸となる。広島市内から、路面電車で広島港まで行き、そこからフェリーで松山観光港を目指す。雨が降るかなと心配したが何とか天気はもった。雲はあちこちに出てさまざまに形を作っていて見飽きない。
瀬戸内の海、という感じで、あちこちに島が見えて楽しい。
途中海が川のように狭まる箇所があって、ちょうど甲板に出ていたこともありなかなかのスリルを味わう。
3連くらいの鉄橋を見事にくぐり抜けた。
そしてその先、四国が見えてきてもなかなか島まではすぐにたどり着かない。
切符の買い方にちょっとしたむずかしさがあった(伊予鉄とJRの駅で駅名が紛らわしく、伊予鉄ではどこまで行けば目的地に近いのかがわかりにくいのだった。「松山市駅」と「松山駅前」みたいな感じで)。間違えて最初遠目の駅まで買ってしまったけれど、車内でその間違いに気づいて無事買いなおした。
日没の頃、松山城に出かけた。下からもよく見えていたが、思った以上に高いので、上まで来るのにはかなり歩く。天守閣はもう閉まっていたが、お城の公園は涼しい風が通り抜けて心地よい。見晴らしもよくて松山市内が一望できた。
ラオスの猫たちは人なつこい(2013年9月)
ラオスで出会った猫たちをご紹介。みんな、人とのいい距離感を保ちながら、落ち着いて、ゆったりとしたラオスの時間の流れを体現しているみたいな存在。
日本でいえば、奈良のような、お寺がたくさんある古都、ルアンパバンでは、とってもゆっくりした時間が流れていた。猫たちも、それぞれゆったり、のんびり、人懐こくて安心した表情、シャッターの音に少しだけ反応するけど、基本的に人間は信じられている、受け入れられている。(下の写真には、ビエンチャンで出会った猫たちも含まれています。)
こちらはまだちっちゃい子猫でしたね。
青地のタイルにまたいいコントラストだったのです。
ちっちゃいんだけど、なんだかやたらに印象的な眼差しだった。
カメラを撮るとどんどん寄ってきちゃう猫っているでしょう。やたらに人が好きだったりおねだりしたり、で。この猫も、まさにそんなタイプで、暑い昼間だったのにどんどん近寄ってきてごろごろごろごろ…。
こんなことされても、平気で寝ちゃってた。おおらかな猫はありがたい。
プロフィール写真にもしているこの猫。本当にきれいなお顔で。でも予想以上に敏捷なんです。東南アジアのほっそりしている猫はたいていそうですね。
あるお寺に行ったとき、靴を脱いでお堂に上がって、さて、出ようかと思ったら人の靴の上ですっかり寝ていた猫。なんで?
ピンと立ったしっぽ、いい感じ。たしかビエンチャンで。
この雄猫も、お寺猫。ちゃんと風通しが良くて気持ちよくて、涼しいところ、知っている。これもビエンチャンだったと思う。
この猫もお寺の境内にいた。たしか、ちょっとおやつを食べていた時にふと現れた覚えが。やっぱりかなり人なつこい雰囲気。こちらもビエンチャンのはず。
思い起こせば(海外編)
最初に行ったのは中国。1992年7月16日‐8月14日。日中国交回復20周年だった。1ヶ月ほど、北京から東北地方をまわった。そのあとは東南アジアやらヨーロッパやら…。年月日は、基本的にはパスポートの出入国記録から転記。
順不同。(できるだけ古いところから思い出そうとはしているが…)分かるものはおいおい並べ替えていくとして。
・中国(北京、大同、大連、遼寧、哈爾浜など)1992年7-8月の夏休みに
・バリ(初回、クタ・レギャンなどのお決まりのコース4泊5日くらい?)12月ごろ?
・L.A.(2泊3日ぐらい?)ユニバーサルスタジオに行ったことは覚えている。 12月ごろ?
・タイ・シンガポール・マレーシア・香港(バンコク、シンガポールから北上してマレーシアの島にも行った記憶が)1996年2月16日-3月9日 タイは2/16-22、シンガポールは2/22-3/3、ジョホール・バルからマレーシアに行ったのが2/28-29、香港は3/3-3/9
・台湾(台北から高雄の方までバスツアー中心) 3月、10日間くらい、母と一緒に。パックツアー(しかもご老人中心の旧植民地旅)はもうこりごり。台湾の知人と台北で再会できたのは本当に楽しかった。
・シンガポール 年末年始で5日くらい?両親と。アテンドは結構疲れた。
・トルコ・ギリシャ(KLMでアムステルダム経由) 2001年3月5‐19日 トルコのバス移動のあれこれ、チャイでのもてなしと交渉にかかる膨大な時間と労力、人々の気さくさと必ず思ったようにいかない、でも最後に何とかなる感じ。
・スペイン(マドリッド、セビリア…)・イタリア(ローマ、ナポリ、フィレンツェ)(スカンジナビアでコペンハーゲン経由) 2000年2月21日‐3月2日 ラテン系はしご旅。イタリアの印象がやたらに強いが本当にスペインも行ったっけ。スペインからイタリアへの移動はなぜかスイスエアを使っていた。
・スペインのみ(マドリッドからバルセロナ)? 2001年頃? (知人の結婚式など)このときマドリッドについた途端、首絞め強盗によるパスポートの盗難という最大の危機に遭遇。結婚式に行かなきゃいかんのに。いろいろな意味であせった。結婚式には無事出席。アルハンブラ宮殿もよい思い出。
・オーストリア(ウィーン)、ハンガリー(ブダペスト)、エストニア、フィンランド 2003年2月2-11日 旅費が安い時期に。
・スイス・アイルランド(ダブリンほか) 2004年9月3-17日 ルツェルン音楽祭によってモーツァルトのオペラの現代的な演出のものを見た。あと教会の尖塔群と夥しい鐘の響き。アイルランドはダブリンから反時計回りにもちろん「北」もめぐって一周。最高だった。もう一度行きたい。
・香港、澳門 2006年2月1-5日 飲茶がやたらおいしかった。
・インドネシア(バリ・ジャワ)、タイ(バンコク) 2005年4月26-5月6日 これでガムランに出会った。
・グアム 2007年8月29日‐9月3日
・韓国(ソウル)2010年1月24-27日、出張。
・台湾(台北)、インドネシア(バリ・ウブド) 2010年8月23日‐9月2日
・韓国(ソウル)2011年7月11-14日、出張。
・イギリス(ロンドン・ヨーク)2011年8月21-8月28日、出張。
・イギリス(ロンドン・エジンバラ)2012年3月13-17日、出張。
・アメリカ(デンバー)2012年4月21-27日、出張。
・ラトヴィア(リーガ他)・リトアニア(シャウレイ・ビリニュス)・ポーランド(クラクフ・ワルシャワ他)2012年8月31日‐9月14日
高松から琴平
琴電で金比羅山を目指す。途中の車窓の風景や車内の雰囲気、それぞれの駅の感じまで、奈良の桜井線に似ている気がした。
琴平駅の駅舎を振り返って。
金比羅山に向かう途中にある金丸座。中には入らず外観のみ。(内子座と比較してもよかったのだが時間もなく…)
鳥居と、バナー、というか、存在感がやたらある横断幕。奥の社まで1368段の石段、写真には撮る余裕がなかった。ただひたすら上を向いて歩くのみ。歩けばいつかたどり着く。
神馬。道産子だったんだと今気づいた。
本殿に向かう途中にある旭社。こちらにお参りするのは、順番としては本殿の後とのこと。
本殿の先にある奥の社。
ちょっとこの写真だと見にくいけれど、ちゃんといます。
境内からの眺望。四国らしいおにぎり山の形がいい。
本殿。ようやくここまで来たなぁ、と自然にありがたい気持ちに。
神楽殿。雅楽の音が聞こえてきそう。
琴電を乗り継ぎ、うどん屋さんに(帰りの電車の時間などもあって結構頑張って行ったのだった)。その庭園がまた素晴らしい。うどんがおいしかったのは言わずもがなで、暑い日に飲む冷たい麦茶が最高だった。